やきもの物語

上絵付けタイル

以前のブログで、タイル浪漫館をご紹介しましたが、以来古い時代のタイルが意識的に気になります。
スピードと、生産量の多い現代では、あまり見られない手の込んだ作業工程があるからです。
伝統の中には、somethingがあって、新しい未来へのヒントを教えてくれます。
タイルは、壁面を覆う建材なので、当然の事ながら大量生産です。
成形→釉掛け→焼成と機械化された製造ラインで生産されていますが、ラインの過程の所々に人の手作業を加え、特注の製品を生産することはあります。
加納の場合、これが補修タイルのご注文に応えられる技術になっています。
昭和の時代、焼成した後でさらに上絵付けをして、もう一度焼くタイルがありました。
上絵は器で一般的に見られる技法ですが、タイルでは今は珍しいものになっています。
今では使われなくなった作業場が、そのまま残っていました。
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作業台の座布団が時代を感じます。
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色見本のタイル
その前には、色見本のタイルが並んで、職人さんやパートさんが絵筆を握っていた当時の作業風景が蘇りませんか?
作っていたのは輸出用タイルならでは。色やデザインが具象的でカラフルです。
洋風化された現代の住まいにそのまま映えるのではないでしょうか?
手の込んだ良い物は時代を経てもいいものです!
子会社、クリエイティブLABOは、ビンテージタイルを販売しています。
クリエイティブLABO・ネットショップ「プロシューマ」

モザイクタイル作家・山崎暢子さん

きっかけは、タイルモザイク浪漫館で見た、小さなタイルクッションでした。
山崎暢子さん(1967年生まれ、京都精華大卒)は笠原産のモザイクタイルを布に貼って造形する作家さんです。
作品を見たときの目から鱗的衝撃で、先日京都まで押し掛けてしまいました。
彫刻家、陶芸家として、関西地方を中心に個展で発表しておられます。
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写真は個展での展示
昨年の暮れから今年春まで、岐阜県現代陶芸美術館(多治見市東町4)での『タイル きのう・きょう・あした』展が開かれ、そこに、山崎さんの大作が展示されていました。
大がかりなカーテンに、滝上りのように、鯉が上っていたり、ワイシャツ、ワンピース、ソファーになったものなど、全面にタイルが貼ってある作品です。
そこからのご縁で、モザイク浪漫館に、クッションが残っており、私どもが巡り逢ったようです。
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写真は山崎さんのパンフから一部抜粋しました
タイルといえば、硬いものに貼る概念しかありませんでした。
「布にタイルを貼る」コペルニクス的転回の発想は、タイルメーカーにない、まさに「びっくり」な作風です。
ところがその作品はタイルを貼っても尚、布のもつ柔らかさやしなやかさを全く失っていません。
そればかりか、布という変貌自在な形態の特質を取り込んで、タイルの表現を広げています。
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タイルのクールでツルっとした感覚が昔から好きで、タイルを素材としているとのこと。
気に入る布の色合いが出るまで染色したり、柔らかさをそこなわない接着剤との試行錯誤など、制作にかける拘りは細部にわたります。
しばし、タイル談義に話が弾みました。
今後、山崎さんとコラボ出来ればと考えています。(Muto)
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京都の趣のある古い日本家屋のアトリエでの山崎さん

タイルの変遷ーモザイク浪漫館

時代による住環境の変化から、マンションやビル、洋風スタイルの外壁など、今タイルといえば45二丁サイズ(45㎜×95㎜)が主流です。
しかし、かつてはサイズ、技法ともバラエティーに富んでいました。

タイルのデザイン的変遷が見られる地元笠原町のモザイク浪漫館は、興味深いです。

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旧笠原中学校の古い建物を利用した施設で、あまりにも小さくおんぼろなので穴場的、意外に知られていません。
前はテニスコートとグランドになっています。
記憶では美術室だったような?窓の造りに校舎だった頃の面影が残ります。

しかし、外観に反して、やきもの好きな方には堪らない内容で、遠くからの見学者は絶えません。地元の有志が地区の企業からや、全国から建物を解体する際に収集した美濃焼産タイルの逸品です。
なにせ、全国のタイルの80~90%の生産高が笠原町ですから、デザイン的変遷は日本の建築史、デザイン史をも物語っています。

やはり、ここはメーカーとしては取り上げずにはいられません。なにより、かつてこの地でこんなタイルが焼かれていたかと思うと、ワクワクします。

歴史的に見ると、陶板を敷いた敷瓦が寺院建築様式として中国から日本に伝わったのが日本のタイルの始まりです。その後、敷瓦は茶道文化として普及。幕末から明治にかけては、美濃や尾張で施釉した陶板の「本業敷瓦」の生産が流行します。
浪漫館には古くは江戸末期の本業焼タイルから明治、大正、昭和のものが展示されています。
昭和30年代から50年代は、一般家庭への普及と生産技術の向上により、笠原町での生産が飛躍的に発展した時代でした。そのため、収蔵品はこの時代のものが中心になっています。どれも先人の工夫の結集で技術的に丁寧で真摯な手作り作業に驚くばかりです。

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写真は笠原の銭湯「折戸湯」に貼られていたタイルです。

明治20年代になって新しく導入された銅版転写の技術を使った大量生産と思われます。呉須のコバルトブルーと鉄の茶色の発色が鮮やかです。


モザイクタイルの生産は明治時代に始まり、大正時代に製造が本格化します。
イギリスから輸入されていたヴィクトリアンタイルのようなレリーフやマジョリカタイルのようなデザインが製品に取り入れられ、大きさも輸入にあわせ、150㎜角が中心になります。

当時のタイルを、昭和45年、57年に復刻した150㎜角の手描きタイルとマジョリカ風タイルが次の3枚の写真です。

IMG_9201a.jpgヴィクトリアン・タイルの特徴である輪郭線を盛上げるアールヌーボーの加飾手法が用いられています。


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また、30年代は食器の技術を生かした手描きの素晴らしいタイルが誕生しました。
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このころ、笠原町のモザイクタイルの元祖山内逸三氏はマジョリカ風の作品やテラコッタ風の作品をいくつか手がけています。

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深いレリーフに色分けした釉薬が施されています。土の窯変によるやきものらしい味わいです。

テラコッタは大正から昭和10年代の銀行や官庁の建物の軒先、外壁の装飾で流行したアールデコ調の装飾ですが、これをヒントとしたのでしょうか。

他にも同時代のレリーフの製品は収蔵されています。
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また、こんな彫刻的なウサギや
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IMG00011-20090526-1023a1a.jpg絵画的な製品もありました。


昭和30年代後半から40年代の小さなモザイクタイルは、壁だけに限らず、風呂、流し、たばこやのショーケース、かまどなどあらゆる所に使われました。幾何学的な形の組み合わせはモダンでした。
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こんなポップでかわいらしいモザイクタイル、現代にも受けそうです。
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お風呂の小さなモザイクのグラデーションは当時の流行でした。

昭和56年につくられたギヤマンタイルです。

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1個の大きさは15㎝角。フッリットガラス系の釉薬を窪みに流し込んでいます。
この頃のタイルは、当時を知らない若い人にとっては、今流行のミッドセンチュリー的なインテリアにマッチする新感覚なのではないでしょうか。


オランダのデフォルト釉のように美しい乳白釉は日本タイルの製品
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他にもオブジェかと思うような大胆な作風、製品が置かれています。
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40~50年代には隣に貼るタイルとの組み合わせによる連続模様が流行しました。
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タイル屋さんは、製品を台紙に貼ったサンプルカタログ台紙を持って全国へ営業に出かけます。(昔は旅に出るといっていました)地元メーカーの製品の歴史がいっぱいに詰まったサンプルの部屋です。
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現在道の駅の形態をした日本タイル村構想があります。かつてのタイルは技術的に貴重な資料ですから、モザイク浪漫館の収蔵品もさらに日の目を見ることを期待します。(Muto)

モザイク浪漫館への入館お問い合わせは

多治見市笠原町商工会         (0572-43-3241)
多治見市笠原町陶磁器工業協同組合(0572-43-2141)
美濃焼振興協議会            (0572-43-6024)